アーガイルデザイン Argyle design|グラフィックデザイン事務所|神奈川 横浜 鎌倉 湘南 葉山町 東京

ARGYLE DESIGN - Stories through Design.

JOURNAL|音楽を語ることは不可能なのか

教養の歴史社会学 音楽

タイポグラフィのある蔵書を探していたとき、ふと目に留まった「文字のデザイン・書体のフシギ 」を久しぶりに手に取りページを捲っていたら、こんなフレーズに出会してすこし驚いた。

"音楽を語ることは不可能なのか"
"デザインを語ることは不可能なのか"

音楽の「本質」がどこかに確かにあるに違いないという前提があるかぎり、それらを語ることの不可能性は決して解除されない、と著者の加島卓氏は論じ、「デザイン」も同様だと云う。「教養の歴史社会学 ― ドイツ市民社会と音楽」をこの引用元として挙げていたから、気になり近くの市立図書館で取り寄せ借りてきた。厚いずっしりと重い岩波書店本だった。二回の貸出延長をし六週間をかけて読み終えた。

音楽史を通して、十九世紀ドイツにおける教養概念を事細かに解明し、そこに「本質化」というキーワードを当てがい、その本質不在の核心のなき教養の空虚さを暴いて行くという音楽学/社会学的考察がその内容。
ドイツにおいて、市民たろうとする人々にとって教養を身につけるための手段の一番の対象が「音楽」だった。教養の高さの証明は、「音楽」への深い理解に裏打ちされた正統な批評(評論)が必須だった。つまり、楽譜を読めることや楽器を弾けることはもちろん、音楽リテラシーの習得が深ければ深い程、音楽をより正しく理解し語ることができ、それこそがディレッタントではない高位の教養人として認められた。

終章のある一節を、最後に引用をしたい。著者はこのくだりをテーマである「本質化」と紐付けをし教養の空虚さを論じ、大見出しの「ドイツという理念」との共通性を見い出し指摘し締めくくる。前述の加島氏は、ここでの「音楽」を「デザイン」に置き換え、上手に語ったのだけれど、「写真」や「アート」他のクリエイティブ系語句での代替もできるだろう、興味深い一節。
ドイツ、バッハ、音楽(クラシックに係らず)、コーラス、キャノン、音楽批評(評論)、教養、社会学... といったキーワードに興味を持たれた方は、お近くの図書館で借り、三百ページをぜひどうぞ。

音楽を語る行為がどれほど重ねられようと、そこにどんな序列が設けられようと、それらの語りは決して音楽そのものには成り代われない。そのものに到達することはできない。予め到達不可能なものとして据えられた音楽は、到達し得ない語りが増えることによって、"実際に" 語り得ない、到達不可能なものであることが証明されるのである。どれほど多くの語りをもってしても、音楽そのものには近づくことができず、そして近づくための方法がどれほど精緻化されようとも、音楽そのものを捉えることができない、という事実が語りの実践の結果としてはね返ってくる。音楽は決して言語では捉えることはできないというリアルな実感が、結果としてもたらされるのであり、無効化された語りの量産が、音楽の「遠さ」を証明することになるのである。近づく努力をすればするほど、遠さすなわち到達不可能性が明らかになるのである。そして、どんなに近づいても到達できない音楽は、それゆえに唯一絶対のものとして、不可侵のものとして、特別な価値を獲得することになる。
[第5章 音楽が暴く教養の正体, 281頁から]


「物の真に肝要なところはただ虚にのみ存する」と、一方で老子が云う。空虚においてのみ自由な行動が可能だと。これは、永遠のマスターピース「茶の本(岡倉天心著)」からの引用。音楽を語ること、デザインを語ること、写真を語ること... 空虚の是非、ものの本質とは−−−


教養の歴史社会学 ― ドイツ市民社会と音楽 ―
宮本 直美 著



◎体裁=A5判・上製・カバー・360頁
◎定価(本体 6,600円 + 税)
◎2006年2月17日
◎ISBN4-00-022547-2 C0322

なぜ他の国々とは異なって19世紀ドイツでは,教養なるものが大きな意味を持ったのか.バッハ復興運動やアマチュア音楽活動の展開,音楽作法の成立などを考証し,音楽が社会的に持った意味を究明.従来の緩急にはない全く新しい視点から,教養の正体を浮彫りにする.音楽学の素養をもつ著者にして初めて可能となったスケールの大きな音楽社会学の達成.




Exhibition

Exhibition "6th Fruit Labels Traveler" Art and Design Gallery "The Hours", Miyazaki

色とりどりの果物は軽やかに国境や赤道を超える。
港から港へ。マーケットから食卓へ。
海の向こうからやってくるフルーツシールはいつも旅している ––––


バナナやオレンジ、レモンに貼られたあのポップな「フルーツシール」。いつの頃からか財布や手帳にペタペタと貼りはじめ、気がつけば2,200枚近い数になっていました。
吉本 宏と宮良当明の小さなコレクションを一堂に集めた世界でも初めて? のフルーツシール展を開催します。

2016年 東京渋谷パルコ・大阪中之島フェスティバルプラザのふたつの DELFONICS GALLERY を皮切りに、2017年 姫路 HUMMOCK Cafe、2018年 藤沢辻堂 Toasted、2019年 鎌倉由比ガ浜 CORNO でささやかに好評を博した同展の第6回目のエキシビジョンとなります。
ふたりがヨーロッパや南米のマーケットでコツコツと収穫したキュートなシールのコレクション展示をはじめ、新作オリジナルデザインアイテムを限定販売します。

The Hours 主宰、杉 怜くん(Scenery of Design)とは、長く "高級な友情" を育んできました。本展におけるフルーツシールのアート&デザイン面のクローズアップは、彼との共同作業を通して生まれ、新しい展示の在り方を形づくるものとなりました。当ギャラリーの「こけら落とし」に相応しいフレッシュで活き活きとした展覧会になることを願っています。

九州初上陸の「旅するフルーツシールのデザイン展」、ちょっぴりレトロでカラフルな、グラフィックデザインの宝庫ともいえる〈小さきもの〉の世界をつぶさにお愉しみください。

*終了いたしました。
fruit labels traveler|calendar “Bienvenidos a Argentina”

fruit labels traveler|calendar “Bienvenidos a Argentina”

Fruit labels traveler "Calendar"

アルゼンチンの旅で知り合ったフェルナンドが案内してくれた
ブエノスアイレスのアンティーク・マーケット。
アルゼンチンのフォルクローレやロックを扱うレコードショップに、
フルーティーなドリップを淹れてくれるコーヒーショップを巡り、
その隣の店のカウンターで熱々のエンパナーダを頬張る。

もちろんフルーツショップにはたくさんのフルーツシールが。
同じくフルーツシールを集めているフェルナンドは
ちょうどイタリア旅行から帰ってきたところだといって、
手帳に貼ってあったイタリアのシールをプレゼントしてくれた。

こうして旅を経てできあがった Fruit Labels Calendar。


全国各ショップ/ウェブストアにて発売開始
*完売いたしました。