益子行きはかれこれ五回目だろうか。春秋年二回催され賑わいをみせる陶器市にも何度か訪れた。昨年の震災でぼくの住む横浜の旧いアパートも上層階ゆえ大きく揺れ、食器棚に無造作に高く積み重ねていた器がほとんどやられてしまった。時間を掛けて少しずつ買い揃えたモノだっただけに、日頃からの雑な扱いを悔やんだ。しかしこれくらいは被災のうちにははいらない。震源に近い益子はそうとうな被害があったと聞いていた。益子の器もいくつか失ってしまったから出向いて現地で買い求めたかった。一方、近年、英国人陶芸家 バーナード・リーチのいくつかの素晴らしい企画展に接し、改めて濱田庄司益子参考館への再訪も考えていたところだった。
そんな益子への旅の道中。ふらりと立ち寄った共同販売所内のとある店舗でとても興味深い〈物語〉を聞いた。そこはツアー用の大型バスが停まり、多くの観光客がばたばたと焼き物を買い求めて行く大きなお土産店舗のひとつだ。アノニマスでリーズナブルな器がところ狭しと並ぶ一方で、ショーケースには濱田庄司や島岡達三、佐久間藤太郎、合田好道、木村一郎など益子を代表する陶芸家たちの高額な旧い作品が展示されている。どこそこの窯だとか、どの作家が作ったというある種のブランドもモノの価値を計る大切な側面だけれど、大量生産で生み出された名も知れぬ普段使いのモノが好きだから、こういった観光客向けの雑多なお店にもとても愛着がある。
このマグカップは、その店舗で手に入れた器のうちのひとつだ。これはアノニマスではない作家モノのほう。「持ち手」の部分を注意深く見て欲しい。背の部分が尖っていて山の尾根のような形状になっている。ほかの益子焼の「持ち手」は平たくのっぺりしているものばかりなのだけれど、唯一このカップだけがくっきりした稜線を持っていた。「持ち手」を右手で掴んでみた。なんともしっくり手に馴染むことか。親指の添えるポジションがちょうどいいアングルでその縁に沿い、不思議なほど自然なホールド感を生み出してくれる。これは、濱田庄司と同時代に活躍をした佐久間藤太郎の孫にあたる佐久間藤也の作品だ。この形状に強く興味を持ったぼくは、初老の女性店員に理由を尋ねた。そこからとても長い立ち話になったので、かいつまんで要約すると以下の内容になる。
「そのデザインは、バーナード・リーチに教えてもらったらしいのですよ。」
濱田庄司が理想の〈窯〉を求め益子にやって来たとき、古くから続く地の窯元の陶芸家たちはみな彼を快く迎え入れた訳ではなかった(事実、益子に住みはじめたものの五年間は自身の窯を持つことができなかったと聞く)。しかし、佐久間家の態度だけは違った。濱田庄司が掲げる日用雑器に美を見出した "民藝運動" に深い共感を覚え、自らの〈窯〉を貸すなどし惜しみない援助をした。若かりし佐久間藤太郎は濱田庄司に師事し、関係性を深めて行く。そのような親交を通じ、濱田庄司と行動をともにしていたバーナード・リーチにも、佐久間窯で創作をする機会が訪れる。佐久間藤太郎がバーナード・リーチの作るカップの「持ち手」の形状に深く興味を持ち得、その教えを乞いた。その後、佐久間窯で脈々とその「持ち手」の意匠が受け継がれ、孫にあたる佐久間藤也がつくるマグカップの造形にもその DNA がしっかりと遺されることになる。
この「持ち手」の逸話を、彼女が佐久間藤也の祖母から昔々に聞いたのだと云う。いい物語だと思った。ものにまつわる連綿と続くストーリー。益子とセント・アイヴスを一本の線で結ぶかもしれないこのマグカップを手に入れて帰ってきた。以来、この「持ち手」がバーナード・リーチから受け継がれた本当の "痕跡" なのかを調べている。さてその真贋はどうだろう。ただ、たとえこれが既知の事実だったり、真実でなかったとしても、ぼくはこのマグカップを両手に抱えながら、一杯の珈琲を毎日美味しく飲んでいる。
2013.4.9
そんな益子への旅の道中。ふらりと立ち寄った共同販売所内のとある店舗でとても興味深い〈物語〉を聞いた。そこはツアー用の大型バスが停まり、多くの観光客がばたばたと焼き物を買い求めて行く大きなお土産店舗のひとつだ。アノニマスでリーズナブルな器がところ狭しと並ぶ一方で、ショーケースには濱田庄司や島岡達三、佐久間藤太郎、合田好道、木村一郎など益子を代表する陶芸家たちの高額な旧い作品が展示されている。どこそこの窯だとか、どの作家が作ったというある種のブランドもモノの価値を計る大切な側面だけれど、大量生産で生み出された名も知れぬ普段使いのモノが好きだから、こういった観光客向けの雑多なお店にもとても愛着がある。
このマグカップは、その店舗で手に入れた器のうちのひとつだ。これはアノニマスではない作家モノのほう。「持ち手」の部分を注意深く見て欲しい。背の部分が尖っていて山の尾根のような形状になっている。ほかの益子焼の「持ち手」は平たくのっぺりしているものばかりなのだけれど、唯一このカップだけがくっきりした稜線を持っていた。「持ち手」を右手で掴んでみた。なんともしっくり手に馴染むことか。親指の添えるポジションがちょうどいいアングルでその縁に沿い、不思議なほど自然なホールド感を生み出してくれる。これは、濱田庄司と同時代に活躍をした佐久間藤太郎の孫にあたる佐久間藤也の作品だ。この形状に強く興味を持ったぼくは、初老の女性店員に理由を尋ねた。そこからとても長い立ち話になったので、かいつまんで要約すると以下の内容になる。
「そのデザインは、バーナード・リーチに教えてもらったらしいのですよ。」
濱田庄司が理想の〈窯〉を求め益子にやって来たとき、古くから続く地の窯元の陶芸家たちはみな彼を快く迎え入れた訳ではなかった(事実、益子に住みはじめたものの五年間は自身の窯を持つことができなかったと聞く)。しかし、佐久間家の態度だけは違った。濱田庄司が掲げる日用雑器に美を見出した "民藝運動" に深い共感を覚え、自らの〈窯〉を貸すなどし惜しみない援助をした。若かりし佐久間藤太郎は濱田庄司に師事し、関係性を深めて行く。そのような親交を通じ、濱田庄司と行動をともにしていたバーナード・リーチにも、佐久間窯で創作をする機会が訪れる。佐久間藤太郎がバーナード・リーチの作るカップの「持ち手」の形状に深く興味を持ち得、その教えを乞いた。その後、佐久間窯で脈々とその「持ち手」の意匠が受け継がれ、孫にあたる佐久間藤也がつくるマグカップの造形にもその DNA がしっかりと遺されることになる。
この「持ち手」の逸話を、彼女が佐久間藤也の祖母から昔々に聞いたのだと云う。いい物語だと思った。ものにまつわる連綿と続くストーリー。益子とセント・アイヴスを一本の線で結ぶかもしれないこのマグカップを手に入れて帰ってきた。以来、この「持ち手」がバーナード・リーチから受け継がれた本当の "痕跡" なのかを調べている。さてその真贋はどうだろう。ただ、たとえこれが既知の事実だったり、真実でなかったとしても、ぼくはこのマグカップを両手に抱えながら、一杯の珈琲を毎日美味しく飲んでいる。
2013.4.9